早稲田大学エジプト学研究所
 
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ダハシュール北遺跡

1. イパイのトゥーム・チャペルとその周辺

 早稲田大学エジプト学研究所によるダハシュール北遺跡の発掘調査は、1995年にはじまりこれまで15回の調査を行っている。当遺跡はセンウセレト3世のピラミッド(第12王朝)から北西約1kmの砂漠台地に位置する。ダハシュール地区は、これまで古王国時代および中王国時代のピラミッドが集中する場所として名を馳せていたが、東海大学情報技術センターと合同で行われた多衛星画像の解析データ等を駆使した遺跡探査によってこの遺跡が発見され、当地区における新王国時代の墓地の存在が初めて明らかとなった。
 ダハシュール北遺跡は、数基のトゥーム・チャペル(神殿型平地墓)と多数のシャフト墓およびピット墓から構成される。1995年のジェネラル・サーベイで最初に発見された第18王朝末の「王の書記」イパイのトゥーム・チャペルを中心とする墓地南端区域にて調査を進めてきた。この墓の上部構造(礼拝施設)は日乾レンガで築かれた基礎部を残すのみであったが、地下の埋葬施設からは夥しい数の遺物が出土した。イパイ自身の埋葬痕跡は見つからなかったものの、トゥトアンクアメン王とその妻アンクエスエンアメンの指輪やラメセス2世のスカラベ型指輪をはじめ、再利用で埋葬された新王国時代の人物の副葬品が検出された。中でも圧巻なのは、地下第2層の部屋で発見されたラメセス2世時代の「王の書記、家令」メスの石棺である。これは赤色花崗岩製の巨大な人形石棺であり、レリーフと彩色によって装飾されている。メスの埋葬は盗掘により荒らされていたが、石棺内外からは豪華な副葬品が数多く発見された。
 イパイ墓の南では、新たなトゥーム・チャペルが発見・調査された。この墓の施工方法はイパイ墓とは異なり、上部構造は全て石灰岩で築かれている。同じく基礎部の床石を残すのみであったが、壁面を飾っていたレリーフやその施工方法から、この墓が第19王朝の神官パシェドゥのものであることが判明した。上部の礼拝施設は背後にピラミッドが設けられ、その頂部に戴く珪岩製ピラミディオンはこれまで見つかっている私人墓の中で最大規模となる。地下の埋葬施設は、盗掘が激しくパシェドゥの埋葬痕跡を示す遺物は検出されなかった。

ダハシュール北遺跡地図
ダハシュール北遺跡地図

イパイのトゥーム・チャペル(東より)
イパイのトゥーム・チャペル(東より)
メスの石棺
メスの石棺
トゥトアンクアメンの指輪
トゥトアンクアメン王の指輪

2. タのトゥーム・チャペル

 2002年の8次調査終了時点でイパイ墓周辺の南端区域の調査はほぼ終了し、6,800uほどのグリッドが開けられたが、当遺跡は60,000m2にも及ぶ広大な敷地面積を有し、いまだその全貌は明らかとなっていない。そこで2004年の第9次調査より、遺跡の西側に調査区域を新たに設定した。ここはかねてから石灰岩の床面が一部確認され、上部構造を有した墳墓が存在すると有力視されていた。調査の結果、第19王朝後半に比定されうる「プタハ神のウアブ神官、朗唱神官」タなる人物のトゥーム・チャペルであることが判明した。上部構造はシャフト開口部付近の床面が若干残るのみであったが、地下からは、盗掘を受けているものの、その上部構造を飾っていた数々のレリーフ片や円柱などの建材、そしてタの副葬品が比較的良好な保存状態で出土した。特筆すべき遺物は太陽の船を描いたレリーフ(幅3.5m)であり、クヌム姿の太陽神を中央にして神々が乗り、左右から2人の女神と、上方の天から姿を出す2人の男神により引き上げられている。この図像は「夜の船」を描いたもので、朝日が昇る夜明けの場面と考えられる。私人の墓でこれほど壮大な太陽の船を描いた例は他にない。

タのトゥーム・チャペル
タのトゥーム・チャペル
太陽の船のレリーフ
太陽の船のレリーフ

3. セヌウ、セベクハト、セネトイトエスの未盗掘墓

 続く2005年の10次調査以後ではタ墓周辺の精査が行われたが、それにより新王国時代のみならず、当墓地ではこれまで確認されていなかった中王国時代のシャフト墓が次々と発見された。しかも中には未盗掘の墓も発見され、そこでは完全なる木棺とミイラが見つかった。これらの墓が3000年以上も盗掘を免れてきたのは、タ墓造営時の事業土がこの一帯を覆い、それにより以前造られた墓が隠されてしまったためと思われる。中王国時代の未盗掘シャフト墓は4基発見されが、どれも4m程の深さで、そこに木棺が納まる程度の部屋が設けられている。シャフト42では「司令官」セヌウ、シャフト64では「家の女主人」ケキ、シャフト65では「葬祭神官」セベクハトと「家の女主人」セネトイトエス、シャフト54では無名の箱型木棺が見つかった。セヌウのミイラはカルトナージュ製のマスクを被り、それは鮮やかな青を基調とした多彩色で彩られ、頭上には翼を広げたハゲワシがあしらわれている。セベクハトとセネトイトエスの木棺は彩色様式が酷似し、同じ墓に納められていたことからも2人が夫婦であったと思われる。彼らの木棺の最大の特徴は豊かな色彩と詳細に表現された装飾にある。橙色をバックに、黄色の帯に青色で入れられたヒエログリフ、そして精緻な幾何学文様で縁取られた偽扉とウジャトパネルは圧巻である。発見時、木棺はパネルを東に向けて置かれ、その手前には供物を入れた小型土器が並べられていた。セベクハトの木棺にはさらに人型の内棺が納められていた。暗色のファイアンス装飾で髪の結び目が表現された鬘や、胴部中央左右に描かれた上下エジプトを象徴するパピルスとロータス(またはユリ)の装飾など、これほど見事に色彩された人型棺は他に例がない。これら中王国時代の箱型木棺はその特徴から第12王朝に比定されるが、セヌウはマスク等の特徴から第13王朝と考えられる。

セヌウの木棺出土状況
セヌウの木棺出土状況
セヌウのミイラとマスク
セヌウのミイラとマスク
セヌウの木棺
セヌウの木棺
セベクハトの木棺
セベクハトの木棺
セネトイトエスの木棺
セネトイトエスの木棺

4. ウイアイ、チャイの未盗掘墓

 新王国時代の未盗掘墓は3基発見された。どれも約1.5mの浅いピット墓で、12y0006では「アメン神殿の職工長」ウイアイ、12y0009で「職人」チャイの人型木棺、そして10y0006では若年女性の単純埋葬が見つかった。ウイアイとチャイの人型棺はともに黒地に黄色で銘文と図像が描かれ、顔と胸飾りは多彩色で表現される。メンフィス地域ではこの様式は第18王朝末から第19王朝前期に特徴的なものである。副葬品はどちらも赤色の壺形土器、木製の杖と枕であり、チャイはさらに子供のミイラを納めた小型の箱型木棺とともに埋葬されていた。女性の単純埋葬はミイラをマットでくるんだ簡素なものだが、化粧箱やシャブティの副葬品、さらに身体にはイヤリングや胸飾りなどの豪華な装飾品を着けていた。

ウイアイの木棺
ウイアイの木棺
チャイの木棺
チャイの木棺

5. おわりに

 こうした近年の発掘により、ダハシュール北遺跡の調査は新たな局面を迎えた。それは、当墓地は新王国時代だけでなく中王国時代からすでに墓の造営がはじまっていたことと、その両時代の未盗掘墓が発見されたことである。この墓地に葬られた人々はサッカラやテーベに比べてそれほど高い身分の人物はいないが、墓の規模から推察されるに様々な社会階層の人々が埋葬されている。我々の調査の目的はまさにそこにあり、階層の差がどのように埋葬習慣に反映されるのか、またそれが中王国と新王国時代でどのように変化するのか、当遺跡はそれに答えることができる。そしてなによりも未盗掘墓の発見はその確証を与えてくれる。ダハシュール北遺跡に似た規模の墓地は他にもあるが、その調査はおおかた20世紀中葉以前であり、詳細な報告は極めて少ない。そうした意味でも近代的調査による当遺跡の資料は、エジプト学にとって多大な貢献となる。


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