早稲田大学エジプト学研究所
 
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アブ・シール南丘陵遺跡

1. はじめに

アブ・シール南丘陵遺跡遠景
アブ・シール南丘陵遺跡遠景

 アブ・シール南丘陵遺跡の調査は、1991年の第1次調査より日本学術振興会の科学研究費補助金(以前は、文部省管轄)の助成を継続的に受け実施されてきた。アブ・シール南丘陵遺跡は、第1王朝初期から古代エジプトの都として栄えたメンフィスに付属する巨大なネクロポリスであるサッカラの北西端にある顕著な小高い丘陵に位置する。この遺跡は、これまで欧米の探検家、考古学者の遺跡地図にも記録されておらず、遺跡として認知されていなかったが、第1次調査以前の予備調査において、遺跡が存在する可能性が指摘され、調査を開始することとなった。これまでの調査で、この遺跡が中期旧石器時代からビザンツ支配時代までの多時期にわたっていることが明らかとなり、特に王朝時代においては初期王朝時代から極めて重要な場所であったことが認識されている。


アブ・シール南丘陵遺跡地図
アブ・シール南丘陵遺跡地図

2. 初期王朝時代〜中王国時代

 アブ・シール南丘陵遺跡における王朝時代最古の遺構は、初期王朝時代末から古王国時代初期頃に丘陵の南東斜面に造営されたシャフト(AKT02)と巨大な石積み遺構である。石積み遺構はジェセル王の階段ピラミッドに代表される第3王朝の階段状ピラミッドあるいは層状ピラミッドと同じ築造技術で造られており、エジプト最古級の巨大石造建造物と考えられる。また、シャフトの東側に穿たれた地下室からは、ファイアンス製の小型模造品、銅製品、土器など初期王朝時代末から古王国時代第3王朝初期に年代づけられる遺物が多数出土している。これらの遺物は、初期王朝時代の代表的な神殿遺跡から出土している遺物と非常に類似している。
 中王国時代には、このシャフトの地下室が増改築されるとともに、同じ丘陵南東斜面に岩窟遺構(AKT01)が造営され、石積み遺構の前面部の緩やかな斜面にはおびただしい数の土器が持ち込まれた。シャフトの地下室の増改築された部分と岩窟遺構からは中王国時代第12王朝に特徴的な土器、動植物の遺存体、木製品片のほか、土製およびテラコッタ製の像が発見された。テラコッタ製像の中にはライオンの女神像、雌ライオンの横臥像があり、そのうちの2体に古王国時代第4王朝のクフ王の名前を刻んだものがあった。これらのテラコッタ製像は様式から古王国時代第4王朝頃に製作されたものと考えられるが、第6王朝のぺピ1世が自らの像を付け加えるなどの再利用が繰り返され、最終的に中王国時代第12王朝に岩窟遺構に埋納されたとみられる。土製像もテラコッタ製像と同じライオン女神像、雌ライオン像などから構成されるが、これらは中王国時代の様式を示しており、埋納された時期と同時代のものであると考えられる。石積遺構前面部から検出された数千点の土器集中は、出土状況から土器の大量廃棄遺構と考えられ、当時斜面の2つの岩窟遺構で祭祀が営まれた痕跡と推測されている。

テラコッタ製像・土製像群
テラコッタ製像・土製像群
石積遺構
石積遺構
AKT02内部
AKT02内部
AKT01
AKT01

3. 新王国時代

 その後、第2中間期末から第18王朝初期頃に石積み遺構の背後に合計11体が集団で埋葬された。無装飾の木棺の中には9体の人骨が、木棺の外で2体の人骨が葦のマットにくるまれる状態で葬られた。副葬品の中にはエジプトにおける初期のガラス・ビーズやシリア産と考えられる輸入土器も含まれていた。
 新王国時代には、丘陵頂部で活発な建築活動が繰り広げられた。第18王朝のアメンヘテプ2世とトトメス4世は、丘陵頂部の北西の高台で空堀に囲まれた矩形の日乾煉瓦遺構を築造した。遺構の基礎部の残存状態から建造物は凹凸のある壁で囲まれていたことが判明した。この遺構では王宮壁画のような彩画片、プラスター片、良質の青色彩文土器をはじめとする土器片、王や神を描いたステラなどが出土しており、王の儀式等に関連する遺構であると考えられる。
 第19王朝ラメセス2世の時代になると、日乾煉瓦遺構の南東部に当時メンフィスのプタハ神殿の大司祭であったカエムワセト王子が大型石灰岩製の建造物を築いた。遺構の大部は崩壊しているが、東側を正面にし、8本の円柱が2列配された柱廊玄関、通廊、奥室からなる遺構である。内部構造の壁面には良質のレリーフが施され、奥室中央にはカエムワセト王子の姿が刻まれた赤色花崗岩の偽扉が配されていた。
 ほぼ同時代に、カエムワセトの石造建造部の北東約40mの地点で、トゥーム・チャペルが造営された。トゥーム・チャペルは、塔門、4本の円柱の列柱を背後にしつらえた中庭、4本の角柱をもつ前室、3つの礼拝室、ピラミッドから構成されている。ピラミッドの西側にシャフトがあり、ピラミッドの真下に埋葬室が造られた。埋葬室からは「高貴な女性、イシスネフェルト」の石棺が発見された。このイシスネフェルトは、墓の立地や、石棺の様式からカエムワセト王子の娘のイシスネフェルトと推測されている。また、トゥーム・チャペルの背後には、土器が納められたピットがほぼ手つかずの状態で発見された。土器は第19王朝に年代づけられ、イシスネフェルトの埋葬儀礼との関係が推測される。このトゥーム・チャペルは、今のところ当時の中心的な墓地から遠く離れて単独で存在する唯一の例である。

集団埋葬の木棺
集団埋葬の木棺
日乾煉瓦遺構とカエムワセトの石造建造物
日乾煉瓦遺構とカエムワセトの石造建造物
カエムワセト王子のレリーフ
カエムワセト王子のレリーフ
トゥーム・チャペル
トゥーム・チャペル
イシスネフェルトの石棺
イシスネフェルトの石棺

4. 末期王朝時代

アマシス王のファイアンス製シストルム
アマシス王のファイアンス製シストルム

 さらに末期王朝時代以降にも人々がアブ・シール南の丘陵を頻繁に活動していたことが、出土遺物から知られる。丘陵頂部からは夥しい数のファイアンス製のアミュレット、ステラ、青銅製像などが出土しており、当時の他のサッカラ地区の遺跡でみられるような祭祀活動がこの丘陵にも広がっていたと思われる。
 アブ・シール南丘陵における、これらの長期にわたる遺構と遺物の存在は、古くからこの丘陵がアブ・シール〜サッカラの広大な墓域おいて極めて重要な場所であったことを物語っている。現在も丘陵の頂きから北はギザ、東は古都メンフィス、南はダハシュールという広大な地区を一望することができるこの場所は、メンフィス・ネクロポリスのランド・マークであったであろう。そして、この景観と立地ゆえに、聖なる丘と見なされ、長い間にわたって活動が繰り広げられたのかもしれない。


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